<2009.11.29のメッセージ>   メッセージ:辛 海雄 兄

「新しい生ける道」


 ヘブル 10:19〜25
 目的地に従って私たちの行く道は決まります。
 富士山の頂上に上るためにどこの道を使って上り始めても結局は頂上に上ることが
 出来るのだという話があります。
 同じように、宗教多元主義者たちは世の中のどんな宗教であっても
 神に至ることが出来るから互いに宗教を認め合うことを主張します。
 しかし神様が用意して下さった救いという目的地に至るためには、
 イエス・キリストという道を歩まなければなりません。
 キリスト教は多神教や一神教でもなく、唯一神教です。
 宗教というより救われる道はキリストしかありません。
 ヨハネの福音書14章6節が次のように語っています。
 イエスは彼らに言われた。
 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
  わたしを通してでなでれば、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」
 ヘブル書の10章の18節までの内容を要約しますとイエス・キリストの優越性です。
 御使いより、モーセより、旧約のどんな大祭司よりすぐれた方がイエス・キリストであって、
 その方によって救われるということが書かれています。
 そして本文が伝えていることはキリストを信じてクリスチャンになったら、
 全き信仰を持って真心から神に近付くことと互いに進め合って愛と善行を促すことです。
 クリスチャンは一人でイエス様を信じて、一人で神を礼拝して、
 一人で伝道することが出来ます。
 しかし一人で信仰が成熟することは中々難しいです。
 聖徒の交わりがある時に互いに信仰の励ましと信仰の成熟があります。
 イエス様がかしらであるこのような聖徒の交わりをギリシア語でエクレシアと言います。
 すなわち教会です。
 教会だからといってすべてのことがうまくいくことではありませんが、
 私たちが信仰生活をする中で倒れたり、落ち込む時に一緒に集まってお互いに勧め合って
 愛と善行を促す教会でなければなりません。
 私たちの家族は岐阜純福音教会や枝教会との聖徒の交わりがあるから、
 このように信仰生活と美濃での働きを続けて励まされて働くことが出来ることを
 感謝しています。
 私たちクリスチャンはイエス・キリストという新しい生ける道を歩んでいる者として、
 これからももっと礼拝や聖徒の交わりに集まるべきだと思います。