<2009.12.6のメッセージ>   メッセージ:小山師

マラの経験に対する勝利


 出エジプト14章〜15章
1.人生の荒野(前回の復習)
(1)荒野は、私たちの試練に満ちた人生を象徴している
  Tコリント10:11、ローマ15:4
(2)荒野は、私たちのかわいた経験を象徴している
 荒野はかわいた地。飲み水がないならば、実に過酷な地。荒野は不毛の地でもある。
 クリスチャンとして、内面的にかわいたり、伝道の実を結ばず荒野に住んでいるような
 気持になることがある。
(3)荒野は、肉の弱さを暴露させる地 申命記8:2-5
(4)荒野は、神の栄光が現わされる地 イザヤ43:19
 神はしばしば荒野で奇跡を行なって民の必要を満たし助けを与えておられる。


2.神はご自身に完全に栄光が帰されることを望まれる(紅海を渡る奇跡)
(1)神はなぜイスラエルの民がわざわざ引き返して袋小路のような所に宿営するよう
 導かれたのか (出エジプト14:1-4)
 パロとその軍勢がイスラエルを追いやすくし、イスラエルの民が追い詰められ、
 主に頼る以外に方法がないようにされた。
 そのような中で神の力を現わし、主の完全な栄光を現わされた。
(2)パロが心を変えて、イスラエルを追跡することになった理由 14:3-5
(3)前は紅海、後ろにはエジプト軍が迫っている状況の中で、不平不満を言い、
 パニックに陥ったイスラエルの民 14:10-12
(4)パニックに陥っているイスラエルの民に対するモーセの言葉 出エジプト14:13-14
  参照 イザヤ30:15 
(5)神のご介入 出エジプト14:20-28
 神はご自身圧倒的な介入により、すべての栄光をご自身のものとされた。
 私たちはどこかで、自分の功績を主張し、神の栄光を奪ってしまうところがある。


3.マラは人生の苦い経験を(試練)を象徴している
 出エジプト15:23「マラの水は苦くて飲むことができなかった。
 それで、そこはマラと呼ばれた。」
(1)イスラエルの落胆
(2)イスラエルのつぶやき
 私たちもイスラエルの子らと同じ経験をしばしばしているのではないだろうか。
 いつも私たちはいとも簡単にふきげんになったり、つぶやいたりしてしまう。


4.マラ水は甘くなった ― 1本の木のおかげで 出エジプト15:25
(1)1本の木はアカシヤの木
 イエス様の完全な人性を象徴。
 この世の砂漠に生え、歩まれたが、罪に汚されず、腐敗することのなかった主イエス様の
 人としての性質をよく現わしている。
(2)1本の木は十字架を象徴
 人生の試練の中で、十字架に目を向けるならば、同じ所で平安が与えられる。
 喜びと力が与えられる。主イエスの十字架には解放の力がある。 詩篇85:5-6
(3)十字架はいやしをも保証する
 主の命令をことごとく守るなら、いやしと守りとが約束されている。
 ことごとく守るのは不可能!
 しかし、主イエスの十字架を信じるなら、すべてを守っている者として受け入れられる。