<2010.1.10のメッセージ> メッセージ:辛 海雄 兄
「義人は信仰によって生きる」 ヘブル 10:26〜39
世の中では人間をいろんな種類に分けて分類することがあります。
たとえば肯定的な人と否定的な人に分けたり、自分のために生きる人と他人のために生きる人に分けたりします。
しかしキリスト教は人間を2種類の人として信仰の人と不信仰の人に分けます。
その基準はイエス・キリストを自分の救い主として信じるか信じないかによるのです。
これは不信仰の人たちにとっては結果的に悲しいことでもありますが、信仰と不信仰の道を選ぶ権利は人間それぞれに与えられていますのでどちらの人になるのかはその人にかかっています。
ヘブル人への手紙が書かれた当時にキリスト教からユダヤ教に背教する人たちがいたので、不信仰の人に対する警告と信仰者のあり方について書いてあります。
1.不信仰の人はどんな人でしょうか。
:本文には「神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者」だと書いてあります。
つまりイエス・キリスト信じない者だと言えます。
イエス・キリストは人が救われるために必要な唯一の道です。
今は聖霊がイエス・キリストを証ししておられるからです。
ですから他のどんな罪も赦されますが、聖霊に逆らい冒とくする者は赦されません。
聖霊に逆らうことはイエス・キリストを救い主として信じない不信仰と同じです。
2.信仰の人はどんな人でしょうか。
:言うまでもなくイエス・キリストを信じる人です。
信仰者は財産や権力や名誉によらずに目には見えないけど、天におられる神様に希望を持って生きる人です。
しかし、信仰者はその信仰のためにこの世界ではあらゆる試練や苦難に遭うことがあると聖書は語っています。
また私たちが信じているイエス・キリストのこの地上での生活は貧しいものでした。
そして力のない弱い人たちや罪人と一緒にすごし、とても惨めに見えます。
だから世の中の人々は世間の価値観でイエス様を見るとイエス様を信じがたくなると思いますが、イエス様の本質は貧しい人ではなくて永遠の神の御子です。
義人は信仰によって生きるのです。
目に見えるもので希望持つのではありません。
義人は再び来られるイエス様に希望を持っていつまでも忍耐を持って信仰によって生きるのです。