<2010.1.24のメッセージ>   メッセージ:松下師

「宗教指導者たちのねたみとイエス様の死」


 マタイ27:18
「ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていたのである。」
 罪のないイエス様が十字架にかけられるようになった理由は、
 当時の宗教指導者であった律法学者やパリサイ人らのねたみによるものでした。
 彼らは、聖書を読むこと、祈ること、断食すること、儀式を行うことなど、
 宗教にたいして大変熱心でした。
 しかし、彼らの心は宗教によって変わりませんでした。
 彼らの心には自由も喜びも平安もなかったのです。
 しかし、イエス様は心に自由と喜びと平安を持っておられました。
 イエス様は、取税人や遊女にも平気で接し、罪人と呼ばれる人たちとも食事をされました。
 イエス様の心は、実に自由だったのです。
 そんなイエス様に、大勢の民衆がついて行きました。
 私たちも、宗教によっては変わることはできません。
 ただ、イエス様の十字架の恵みにより、聖霊の力によって変えられることができるのです。
 当時の宗教家たちが、イエス様に信じ従うか、ねたんで敵対するかのどちらかであったように、今日の私たちも様々な状況の中で、イエスさまへの信仰によって平安を選ぶか、ねたみによって捕えられるかのどちらかです。