<2010.2.14のメッセージ> メッセージ:小山師
神に近づくことのできる条件
出エジプト21章−24章
1.神の義と人の醜い罪 (出エジプト21章−23章)
21章から23章までは、今日で言う民法・刑法が記されています。
全体を見るとき、二つのことを教えられます。
(1)神の側について言うと、神は完全で公平な正義を示す律法を制定された
「しかし、殺傷事故があれば、いのちにはいのちを与えなければならない。目には目。
歯には歯。手には手。足には足。やけどにはやけど。傷には傷。打ち傷には打ち傷。」
(出エジプト21・23-25)
この聖句は、旧約の厳しさを表わす御言葉としてしばしば引用されることがありますが、
神はこれらの戒めをとおして完全で公平な正義を示しておられるのです。
(2)人間の側について言うと、律法は人間の醜い罪の状態を表わしている
人が愛の足りない不完全で不公正な存在であるので、神は愛とあわれみの配慮を示すよう
律法をとおして教えておられます。
@奴隷への配慮 21・2
A在留外国人、やもめ、みなしご、貧しい人々への配慮 22・21-27
B貧しい人への訴訟における配慮 23・3-6
C残酷な行為への戒め 23・19
2.父なる神に忠実なしもべの形を取られたイエス・キリストの予表
出エジプト21・4-6
固有の地位を捨てるべき何の理由もなかったのに、自ら進んで父の御心に従い、
地上に人として来られ、ご自身を低くし、人の批評に動じることなく、神の御心を全う
されました。 参照 詩篇40・7-8
ヨハネ6・37-39
しもべが主人だけでなく、妻や子を愛して、奴隷としてとどまる決心をしたように、
キリストは教会を愛し、教会のためにご自身をささげられました。
参照 エペソ5・25-27
3.神に近づくことのできる条件(出エジプト24章)
(1)神から招かれることによって 出エジプト24・1-2
神から招きを受けたのは、モーセとアロン、ナダブとアビフ、それにイスラエルの長老
七十人でした。
ただし、主の所に上って行った人たちで、本当に主のもとに近づくことができたのはモーセ
ひとりだけでした。
旧約時代においては、神によって召されたエリートだけが近づくことができました。
しかし、新約時代には、「誰でも」が近づくことができます。 参照 ヨハネ3・16、7・37
(2)イエス・キリストの十字架により 出エジプト24・4-8
モーセとアロン、ナダブとアビフと長老七十人が上って行くことができたのは、
祭壇を築き、全焼のいけにえをささげ、和解のいけにえとして雄牛を主にささげた後でした。
参照 ヘブル8・10-13、9・12、9・22、10・17-19
天国のうるわしさ 出エジプト24・10
モーセとアロン、ナダブとアビフ、それにイスラエルの長老たちが見た神の御座
(御足の下)には、サファイヤを敷いたようなものがあり、透きとおっていて青空のよう
でした。
これは近づくことのできないほどの神の聖さと光と威光を示していました。