<2010.2.28のメッセージ> メッセージ:神学生(辛兄、大道姉)
辛 海雄兄 メッセージ
「信仰は望んでいる事がらの実体」 ヘブル11章1〜3節
私たちが目で見ていることを信仰とは言いません。
聖書が教えている信仰は目で見ていなくても見ることができることです。
信仰のことを言うときに信仰の対象と正しい信仰について話さなければなりません。
1.信仰の対象−他の宗教も信仰について語ります。
しかし、神様が私たちにイエス・キリスト以外に救いの御名を与えて下さったことはありません。
ですから信じても方向を間違うことなく、イエス・キリストが私たちの唯一の信仰の対象に
ならなければなりません。
2.正しい信仰−イスラエルの民は主を信じていると言いながら、自分たちが苦しんで
いることを主に対してつぶやきました。
そして神様は雄牛のような形だと勝手に決め付けました。
それは主を信じても正しい信仰だと言えません。
私たちは自分が勝手に決め付けた神を信じてはなりません。
神は祝福の神でもありますが、十字架の道は苦難の道でもあることを覚えて、
主を信じる者になって行こうではありませんか。
そのとき私たちは主が用意して下さっている素晴らしい祝福を信仰の目で見ることが
出来ます。
大道由美姉 メッセージ
「キリストを着る」 コロサイ3章5−11
9節、10節「…あなたがたは、古い人をその行ないと一緒に脱ぎ捨てて、
新しい人を着たのです。」
ここで新しい人を着ると表現されていますが、ここに素晴らしい真理があるのです。
このコロサイ書が書かれた時代には、グノーシス主義という異端の思想が人々の中に
入り込みいました。
グノーシス主義というのは、『霊は善である、物質は悪である』という思想です。
このような思想によって、イエス様が人として来られたこと、イエス様の人間性を
否定されるようになりました。
このことについてパウロは人々に注意を与えました。
私達はキリストと共に葬られ、キリストの復活にもあずかる者とされた。3:3
イエス様は確かに体をもって私達の罪を贖ってくださいました。
私達は救われてすぐは、何も変わったようには見えませんが、イエス様を信じた私達は
すでに新しくされているのです。
私たちはキリストを着せられているのです。
私たちはまた、「不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そして、むさぼりを殺してしまいなさい。」
とあるように、古い自分から訣別する必要があります。
自分の力では完全に決別することはできませんが、聖霊様が私たちを助けてくださいます。
イエス様が日々私たちをそのことから守ってくださって、決別できる力を与えてくださいます。