<2017.3.12のメッセージ>   メッセージ:小山 大三 師

三種類の啓示


 詩篇19篇
著者のダビデはこの賛歌で、三つの方法による神の啓示を教えています。
 一つは、自然による神の啓示です。
 自然界、具体的には天体の動きにおいて神の声を聞けると言います。
 1節から6 節までです。
 そして二つ目は、神の言葉による啓示、つまり聖書によって神の声を聞ける特別啓示です。
 それが7節から11節です。
 そして三つ目に、御霊による啓示です。
 御霊のお働きにより、私たちの良心を通して神の声を聞けます。
 12節から14節です。


1.自然による神の声(自然啓示) 19:1~11、参照ローマ1:20
 『いつも目の前しか見ていない日常生活の中から目を上にあげ、限りなく広い大空を見上げる
 とき、私たちは、嘆いたり怒ったり絶望したりしている自分がなんと小さいものであるかを
 思わせられる。
 そしてこれは誰もが経験する思いでもある。
 しかしこの詩人のように、そうしたものが神の栄光をあらわしそのみ手の業を示していること
 に目を注ぐならば、ただ単に宇宙の大きさに気づくだけでなく、この宇宙を造り支配したもう
 神が、この私をも造られ支配しておられることを知らされる。
 そうして私たちはキリストによる神の愛、その大いなるささえの中に生かされている自分を
 見いだして、限りない力強さを覚えさせられるのである。いつも大空を、神を仰ぐ信仰生活者
 でありたいと思う。
 ところが私たちは、ともすると周りの人々を見て、自分は上幸な生まれつきだとか、私ほど
 上幸な者はないといった思いをいだきやすい。』
            (『旧約聖書一日一章』、榎本保郎著、P.536、主婦の友社)


2.御言葉による神の声(特別啓示) 19:7~11
 自然だけでは神の全てを知ることができません。
 神はご自身の姿を特別に言葉に現してくださいました。
 それが聖書です。
 『神のみおしえ』・・・ヘブル語では『トーラ』と言い、しばしば律法と訳されます。
            『矢を放つ』というのが元々の意味です。
 『主のあかしは確か』・・・『あかし』というのは、神ご自身についての証言です。
               神の言われていることは確かなのです。
 『主の戒めは正しい』・・・ここの『戒め』は、『定め』とか『規定』のことです。
      主の定めておられる事には知恵があり、喜びある生活が守られるための枠組みを
      与えてくれます。
 『主の仰せはきよい』・・・『仰せ』は、命じることです。
      主が命じられる時、その命令には上純物がありません。
      したがって、そのような聖い命令は、『人の目を明るくする。』とあります。
 興味深いことに、主の言葉について、『主への恐れ』という吊称もあります。
 恐れというのは、畏れかしこむことです。
 恐怖のことではありません。
 『主のさばきはまこと』・・・これは主の判断です。
      主がどのように善悪を判断しておられるかの基準のことです。
      主は公平にさばかれるお方です。
 働いたお金よりも、純金よりも聖書が好ましくなっていますか。
 また、蜜よりも甘いとあります。
 蜜は好ましいものです。
 また私たちに元気を与えてくれます。


3.御霊による神の声(御霊による啓示) 19:12~14
 聖霊が私たちの心を探ってくださいます。
 私たち自身が実は、自分自身を知らないのです。
 ゆえに、主が自分に悟りを与えてくださるよう、ダビデは祈っているのです。
 参照詩篇 139:23~24
 13節の『傲慢の罪』は『故意に犯している罪』です。
 傲慢の罪とは、もっと計画的なものです。
 明らかに間違っていることを知っていても、憮然とした態度でその罪を犯すことです。
  参照Ⅰサムエル15:3、9~11、22~26 サウル王の罪
 ダビデは、神を『わが岩、わが贖い主、主よ。』と呼んでいます。
 安定で確かな方である、岩なる神が、贖い主です。
 贖い主とは、自分の近くにいて、自分が売られる身であったのを買い戻してくれる存在です。
 この方がおられなければ、私たちは傲慢の罪から自分を守ることはできません。
 私たちが天における神の栄光を見て、それから主の御言葉に触れて、その中で聖霊が私たちの
 神の義と聖を心に示してくださいます。
 そこで明らかにされる罪を私たちが悔い改めます。
 しかし、自分は、これは手放さないとしている牙城も見つかります。
 それを今、手放しませんか。主の前で告白して、その罪を捨ててみませんか。
 贖い主なるイエス様が、かばってくださり、身代わりとなってくださいます。