<2017.4.30のメッセージ>   メッセージ:小山 大三 師

生ける神を慕う


 詩篇42:1~5
 詩篇42:1~2『鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕い
あえぎます。私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、
神の御前に出ましょうか。』


1.健康のしるしは、飢え渇きがあること
 ご馳走を前にして食欲がないのは、どこか体に悪いところがあるからです。
 健康な人はお腹がすき、喉が渇くのが普通です。
 私には、招待を受けフルコースの料理を前にして、まったく食欲がないために水しか飲めな
 かった悔しい経験があります。
 皆さんは如何でしょうか。


2.あなたは霊的に飢え渇いていますか
(1)落胆の経験の中で飢え渇きが深められる
 ダビデは絶望した時がありました。落ち込んだ時、鬱になった時がありました。
 ダビデがこの詩篇を書いたのは、おそらく自分の息子アブシャロムが父に反逆し、多くの者を
 自分に引き寄せてエルサレムの町を乗っ取った時のことだと考えられます。
(2)谷川の水を慕い求める鹿
 昨晩のNHKの午後7時半からのプラネットアースの番組で、イスラエルの鹿であるアイベック
 スの生活を取り上げて紹介していました。
 南の砂漠地帯に住んでいるアイベックスは、敵から身を守るために90度近くそびえ立って
 いる断崖絶壁の上で生活しています。
 ひづめが分かれているので、高く危険な場所を上手に歩くことができるのです。
 しかし、のどが渇くと、谷川を流れる水を求めて危険を冒しながら崖を下ります。
 谷川に下っても、のんびりと水を飲むわけにはゆきません。
 アカギツネなどの天敵が待ち受けているからです。
 まだ幼いアイベックスをねらっているのです。


3.生ける神と偶像の神 マタイ11:28、ヨハネ7:37~38
 偶像の神は、目があっても見ることができず、耳があっても聞くことができません。
 足があっても歩くことができません。
 また、悩みに対して同情することもできません。
 生ける神こそ、私たちの心に満足を与えて下さる方です。
  ・内村鑑三の門下生の一人であった藤井武の言葉
  ・パスカルの言葉


4.生ける神を慕い求めて生きよう
 エペソ5:18
 ヨハネ4:6~30
 サマリヤの女についてこの女と同じように、私たちも神以外の何かでそれを埋めようとして
 いないでしょうか。
 自分の趣味、学問、業績、キャリア、あるいは宗教にさえ活路を見出すかもしれません。
 キリスト教会の活動にいそしんでいれば、私は満たされるかもしれないと思っているけれども、
 何か喜びがないということはないでしょうか。
 これらを求めれば求めるほど、心が飢えてきます。なぜなら、霊的な渇きは神しか埋められず、
 それはイエス・キリストとの人格的関係からしか得られないからです。
5.絶望から希望へ ― 絶望あるいは鬱に対する処方箋
(1)過去の主の恵みを思い起こし数える 詩篇42:4、詩篇103:2
(2)自分の心を見張る 詩篇42:5
 『わがたましいよ。』と自分自身に対して語りかけています。
 自分の魂に語りかけることは、言い換えると自分の心を見張っているということです。
(3)自分に語りかける 士師記5:12、ゼパニヤ3:14~17
 効果的なのは、『おまえ、たましいよ、しっかりしろ。何を、心を乱して いるのだ。』と
 語りかけることです。
(4)神を待ち望む 詩篇42:5
 そして最後に絶望に対する解決策は、ここにあるように『神を待ち望む』こと、あるいは
 神に希望を置くことです。