<2017.7.2のメッセージ>   メッセージ:小山 大三 師

幸いな人


 詩篇84篇
 導入
 ユダヤ人の成年男子は三つの祭り、過越の祭り、五旬節、そして仮庵の祭りに集まることが
 主から命じられています。
 ですから、離散したユダヤ人であっても、世界からエルサレムに向かって巡礼するのです。
 その時に、主の大庭に行きたいという強い慕い求めが、この詩篇の内容になっています。
 ・教会バスでの交わりを楽しんだ年配の姉妹たち


1.主の宮を慕う 84:1~4
(1)主の宮を慕う
 主の住まいをコラの子らは、慕っています。
 ソロモンの時代になってから、礼拝は義務感で行われ、異教の神々を宮の中に持ち込みました。
 そのために主の裁きが起こり、バビロンに捕え移されました。
 この詩篇の記者は、やっとエルサレムに帰還することができて、長いこと失ったものを取り
 戻し、主の大庭の尊さを味わうことができました。
(2) 放蕩息子の経験
 弟息子は父のところから離れましたが、それによって父から離れて暮らすことがいかに惨めな
 ものかを痛いほど知り、それで自分の家に戻りました。
 兄息子はいつもいるのに、上満を抱きました。
(3)主の宮がホームになっているか
 『居場所』は『ほっとできる場』であることが大事です。
 雀も住みかを見つけ、そしてツバメも巣を見つけて、なんと『あなたの祭壇』という言葉を
 記者は用いています。
 同じように、私たちが教会にいてほっとできているかどうかが問われています。
 ・使徒の働きでは、使徒たちが教会に来ると『報告する』ということが必ずありました。


2.クリスチャンも涙の谷を通る 84:5~7
(1)巡礼の苦労
 ①『シオンへの大路』・・・大路というのは、英語ですと『ハイウェイ』です。
              『高くなっている路』という意味です。
  イザヤ書には、数多く、世界に散らされたユダヤ人が大路を通って、エルサレムに戻って
  くる預言が書かれています。(35:8~10)
 ②シオンとは・・・地上のエルサレムだけでなく、天からのエルサレム、主のご臨在がシオン
          です。
  そこに至るには、私たちも信仰の巡礼を行っているようなものです。
(2)涙の谷を通る理由
 ①私たちの上完全さのゆえの失敗
 ②サタンの攻撃
 ③人類全体に流れている原罪から来る苦しみ、自然災害、事故、死
 ④神ご自身による訓練
 『涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします』とあります。
 『涙』はバカという地吊ですが、惨めさや悲しみを表しています。
 『バカ』をユダヤ人は『バーハー』と発音します。
 それは椊物、木の吊で、乾燥した荒地に生える木で、バルサムの木を意味します。
 バルサムは、涙のように見える樹脂で幹を被います。


3.幸いな人の条件
(1)主に信頼する人 84:5、12
(2)主への開かれたまったき心の持ち主 84:5
 私たちが礼拝に集う時に、天のシオンへの大路が一本、心の中に通っているでしょうか。
(3)神の恵みに信頼する人 84:8~9
 『ヤコブの神』・・・ ヤコブは、生まれつきの性質はほめられたものではありませんでした。
            努力型、人間的計算にたけた人でした。
 著者コラの子らは、『われらの盾』を見てほしいと神に願っています。
 その盾とは、『油注がれた者』であるメシヤ、キリストのことです。
 私たちはキリストにあって、完全であり、聖であり、義である神に受け入れられているのです。
 この方が、ご自分の流された血によって、罪の赦しを行ってくださったのです。
 コラは、アロンとモーセに反逆し、主が生きたまま陰府(よみ)に降らせたあのケハテ族の
 レビ人ですが、その子たちは憐れみを受けました。
 そして彼らはダビデの時代に、門衛の務めに任ぜられました。
 宮の門口で、いつも礼拝賛美を見ていましたが、そこにいることがなんと幸せなことか、
 自分の居場所がはっきりしている悪の天幕にいるより、すぐれていると言っているのです。