<2017.7.30のメッセージ>   メッセージ:小山 大三 師

苦しみのうちから主を呼び求めよ


 詩篇118篇
 詩篇113篇から118篇までの六篇は『ハレル詩篇』と呼ばれユダヤ人の三大祭りの時に
 歌われる詩篇です。
 例えば、過越の祭りには、その食事の前に113篇と114篇が歌われ、食後に115篇から
 118篇までが歌われます。
 特に118篇は印象的です。
 主が十字架につけられる直前にこの詩篇が何回も引用されているからです。
 そして主ご自身がこの詩篇をお歌いになりました。
 マタイ26章30節を読むと、最後の晩餐が終わってから、『そして、賛美の歌を歌ってから、
 みなオリーブ山へ出かけて行った。』とあります。
 主ご自身がお歌いになり、そしてそこに書かれている出来事の多くを体験されました。
 この詩篇は宗教改革者ルターが『私の詩篇』と述べたほど大事にした詩篇です。
 あるいは、ある旧約聖書の学者は、この詩篇は『個人のほめたたえの歌としては完璧』と言い
 ました。
 それほど、深い神との交わりを表した詩篇なのです。
 詩篇118篇に出てくるさまざまな箇所が、主がエルサレムに入城されて十字架につけられる
 までの克明な預言にもなっています。
 この詩篇に照らし合わせて、主の最後の一週間を辿ると、また新しい見方ができるでしょう。


1.主の恵みはとこしえまで 1~4
 『主に感謝せよ。主はまことに慈しみ深い。その恵みはとこしえまで。』とあるように、
 一日の初めに、また散歩をしている時や昼食の時に、あるいは、一日を終えて、眠りにつく
 前に祈ると、その一日に起こった出来事の所々に、主の慈しみがあったことに気が付くで
 しょう。
 そうして感謝の心と共に眠りにつくことができます。
 2節、3節、4節の祈りは、そういう中から、イスラエルに主の恵みがあるように、祭司たち
 に、主を畏れるすべての人に、主の恵みがあるようにと、その祈りがどんどん広げられて
 いって、自分一人だけの平安の祈りだけではなくて、一緒に生きている人の平安を祈る心へと
 広がっていく姿をみることができます。


2.主を呼び求めよ 5~9
 118:5
 『苦しみのうちから、私は主を呼び求めた。主は、私に答えて、私を広い所に置かれた。』
 『呼び求めよ』という言葉は、『叫ぶ』とも訳せます。
 詩篇の多くの個所で、主を呼び求めること、あるいは叫び求めることが書かれています。
  参照 詩篇106:44、107:6、13、19、107:28
(1)あなたは主に叫び求める祈りをしたことがありますか
 神を信じている人生であっても、叫ぶ以外にない時があります。
 実際に叫んだ経験のない人には、詩篇の作者の気持ちはわからないと思います。
 叫んだ経験のある人には、作者の叫びが上思議と自分の叫びと共鳴してくることと思います。
(2)苦しみの時には、ストレートに声を上げて叫ぶのが良い
 日本人は心の苦しみを押しつぶして、表面上、信仰深く振舞ってしまう傾向があります。
 主に向かって叫ぶと、心の中のものが吐き出されて静まってきます。
(3)主は叫びに答えてくださる
 『広い所に置かれる』あるいは『広場に立つ』という言葉は、『救い』と『解放』を意味して
 います。


3.主に叫ぶことによって与えられる3種類の解放
(1)霊の解放
 ①出エジプト3:7~8
 ②士師記3:9、15、4:3、6:6~8
 ③Ⅰサムエル1:10、1:19
(2)肉体の解放 盲人のバルテマイの経験
 マルコ10:46~52
(3)奉仕の領域の拡大
 使徒4:23~31、使徒8:1~8