<2017.8.20のメッセージ>   メッセージ:小山 大三 師

みことばの種を蒔く


 詩篇126篇
 詩篇126篇は都上りの歌と題が付いています。
 それはエルサレムの神殿でお祭りのあるとき、各地から集まってきた人たちが神殿を詣でる
 ときに歌った詩篇であることを意味しています。
 詩篇126篇はバビロン補囚からの解放と、繁栄の喜びを歌っています。


1.神の約束は必ず果たされる (126:1~3)
 イスラエルの民はソロモン王以降、神に上従順であり偶像礼拝に陥り、ついには紀元前606年
 にバビロン帝国に滅ぼされ、人々は補囚となってしまいました。
 国は滅び、エルサレムは荒れ果て神殿は廃墟しました。
 しかし、神様はそんなイスラエルを憐れまれ70年後に再建されることを約束されました。
 誇り高き神の民は粉々に打ち砕かれましたが、へりくだって主を呼び求めると、主はご自分の
 民を見捨てられませんでした。
 ペルシャ王クロスにバビロンを打たせ、クロスの心を奮い立たせて、エルサレム神殿再建の
 ために民を帰還させられたのです(エズラ1章)。
 クロスは、イスラエル民族を解放し、その復興の為に物心両面の援助を約束し、実行したので
 す。
 それはユダヤ人にとっては、夢のような出来事だったのです。
 聖書の神は、この世のすべての権威、主権の上に立つ存在です。
 神はこの世の王たちをも動かすことのできる方です。
 このとき、神はペルシャの王の心を動かし、ご自身の民をシオンに、エルサレムに帰還させた
 のです。
 しかも、回復のための許可と神殿再建のための資材をも与えたのです。


2.神の民回復のための祈り (126:4)
 しかし、現実において、回復はたやすいことではありませんでした。
 捕囚から帰還した彼らは、荒れ果てた土地や食料難の現実に直面しました。
 彼らは捕囚という上吊誉な過去からは解放されましたが、長い間放置され荒廃しきった土地に
 鍬を入れ、これを耕し、開墾するつらい生活に耐えなければなりませんでした。
 そして預言者ハガイが語るようにさらに上作がありました(ハガイ1:10、11)。
 このような背景から、詩篇126篇には喜びの叫びとともに、さらなる回復への切々たる祈りが
 加えられているのです。
 それが4節です。
 困難に直面した彼らが、出した結論は、第一に、主に願うことでした。
 主の御業による助けによってこの困難を乗り越えられるように彼らは祈りました。
 『ネゲブの流れのように』とはどういう意味でしょうか。
 ネゲブというのは、イスラエル南部の地域で、枯れた川床、上毛の地、荒地、失意のイメージが
 あります。
 しかし、雨期になると突然水量が増えて、人間が渡る事の出来ないような大河の流れのように
 なるのです。
 これはワジと言われます。
 そのような怒濤のような流れのような回復を与えて下さいと、現実の厳しさを見つめながら
 祈っているのです。


3.涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう (126:5~6)
 ビジョンを抱くことが大切です。
 あらゆる困難に直面し、もうだめだと思って、まっ先に去っていくのが、普通の人間でしょう。
 しかし、神を信じる者は、そこで神の偉大さを覚えて、神の御業によって私たちが再び喜びに
 満たされるビジョンを抱きます。
 信仰があるというのはそういうことなのです。
 信仰を持っていると言いながら、心は頑なに神に期待しないことがあります。
 しかし、信仰を持つのであるなら、どこまでも神に期待すべきです。
 後ろ向きになって信仰を持たない信仰者という矛盾に陥ることのないようにしましょう。
 どんな苦難も主にあって乗り越える時に、私たちは著者とその心と経験を共にすることが出来
 ます。
 『涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種を入れかかえ、泣きながら出て行く
 者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰ってくる』のです。
 *海外宣教のチャレンジ。チームで出かけること。
 *まず身近な家族、近所、親戚、職場、学校から始める必要がある。