<2017.9.17のメッセージ>   メッセージ:小山 大三 師

信仰を持って一歩を踏み出そう


 ルツ記2:1~4
1.人生には試練がある(1章)
 ユダヤのベツレヘムにエリメレクとナオミは住んでいました。
 つつましくも楽しく何上自由なく暮らしていた彼らに、突如試練が訪れました。
 この地にききんがあったのです。
 そこで彼らは二人の息子を連れてモアブの地に移住しました。
(1)試練は、信仰の試金石
 試練は、私たちの信仰の程度と質とを明らかにします。
 エリメレクとナオミは、十分祈ることなく、目に見る所の判断で、モアブに下って行った
 のでした。
 モアブは、この世を象徴している所であり、後退し、冷めた信仰者を象徴する場所となって
 います。
 彼らは一時の試練に負けることなくベツレヘムに留まるべきでした。
 ナオミは、まず夫エリメレクに先立たれ、次に、モアブ人の女と結婚した二人の息子たちを
 次々と亡くしました。
(2)試練の時には神に立ち返れ
 『主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。・・・主に帰れ。
  そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。』
  (イザヤ55:6~7)
 ナオミは、試練に打ちのめされながらも、恥を忍んでベツレヘムに帰る決心をしました。
(3)ルツの信仰 (1:16)
 ルツはナオミから信仰を受け継いだと思われますが、姑を超えるほどの信仰者となっていま
 した。
 彼女は、オルパに倣うことなく、自立した信仰者としてイスラエルの神に従う固い決心を
 表明したのでした。
 オルパは根の浅いクリスチャンの型ですが、ルツは信仰の自立を果たしている女性の型と
 なっています。


2.信仰を持って一歩を踏み出そう(2章)
 ベツレヘムに帰ったナオミは、自己憐憫に陥っていました。
 しかし、ルツ(『友情』の意)は、神に対してもナオミに対しても苦々しい思いを抱かず、
 外国の地にあっても外向きでした。
 ルツは姑との生活を考え、親切な人の畑に導かれたいとの祈りと願いを持って落ち穂拾いに
 出かけたに違いありません。
 神は愛によって働く信仰を持って一歩を踏み出す人を祝福してくださる方です。
 『ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落穂を拾い集めたが、それは、
 はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった。ちょうどその時、ボアズ
 はベツレヘムからやって来て・・・。』(2:3~4)
 神の摂理によって劇的なルツとボアズの出会いが起こりました。
 *『日光オリーブの里』というクリスチャンのリトリート施設オープンの証し
  ・・・少しの行動を起こすことの大切さ。
     神が喜ばれることならば、お金のあるなしに関わらず、物事を神が導いてくださる。


3.贖い主イエス・キリストの型としてのボアズ(3章)
 ボアズは、法の秩序に従って、正当な手続きを経てナオミの一族の贖い手となることを決心
 しました。
 ボアズがルツと結婚するためには、エリメレクたちが作った借金を払い、買い戻した畑を
 やがて生まれてくる子どものものとしなければなりませんでした。
 これには犠牲が伴いました。
 この自ら搊をしてまでルツを買い戻そうとする姿勢は、イエス・キリストの十字架の救いを
 意味しています。
 イエス様は、私たちを罪と滅びから買い戻すために、ご自分の尊い命を投げ出してくださっ
 たのです。


4.ダビデの曽祖父となったボアズ(4章)
 4章18節から22節の系図を読むと、ボアズはやがてイスラエルの王となるダビデの
 曽祖父になったことが分かります。
 つまり、ルツはダビデの曾祖母となったということです。
 私たち異邦人(ユダヤ人以)の教会は、いわばルツによって象徴されています。
 異邦人でありながら、天のボアズ(イエス・キリスト)によって救われ、花嫁とされている
 のです。