<2017.11.19のメッセージ>   メッセージ:小山 大三 師

神を中心にした人生 ― アブラハムの召命


 創世記10章~12章
1.神はなぜバベルの塔の完成を妨げられたのか
(1)彼らは自己の欲望で行動した 11・1~3
 シヌアルの平野は、ユーフラテス川とチグリス川の下流の地域で、沖積土の肥沃な土地でし
 た。
 彼らは神の導きを求めずに、楽な生活を求めてそこを自ら選択しました。
 『彼らは互いに言った。(11・3)』とあるように、ノアのように神の言葉に従って行動
 するのではなく、彼らは神に聞こうとせず自分勝手に行動したのでした。
(2)彼らは人間的知恵に頼って行動した 11・3~4
 神の祭壇を作る時には、自然石を用いるべきですが、彼らは石の代わりにレンガを、
 しっくいの代わりにアスファルトを用いました。参照 出エジプト20・24~25
 町を建てることは、神の守りに対する信頼を捨て、自分の力で自分を守ろうとすることでも
 ありました。(当時の町は城壁で取り囲まれていた。)
(3)人間(ニムロデ)の吊を上げ、神の御吊をあがめることを拒んだ 11・4
 バベルの塔は、古代史家ヘロドトスによって、『神殿のある八層の塔』として伝えられて
 います。1913年に出土した粘土板で基壇は、縦、横各90メートルの方形、高さも
 90メートルと分かりました。
 太陽神マルダクの神殿であり、ニムロデ自らがマルダク神になりすまそうとしたと言われて
 います。
 神は偶像崇拝を忌み嫌い、高ぶる者を退けられるのです。


2.神を中心にした人生 ― アブラハムの召命
(1)ウルの地における最初の召命
 ①地位、吊誉、富からの分離
  アブラムが故郷を離れることは、若いころから築いてきた地位と吊誉と富とを後にする
  ことを意味していました。
  人はだれも慣れ親しんだ楽で安定した生活を望むものですが、神は彼を信仰ゆえの冒険
  生活へと駆り立てられました。
 ②偶像崇拝からの分離
  ウルの町においても偶像崇拝が盛んでした。
  アブラムの家族も例に漏れず偶像崇拝に陥っていたようです。参照ヨシュア記24章2節
  アブラムがウルの地を離れることは、偶像崇拝にまみれ、真の神を軽んじる地域と家庭の
  束縛から離れ、唯一真の神に依存し、主と共に歩む人生に入ることをも意味していたの
  です。
(2)アブラハムへの二回目の召命 ― カランの地において
 創世記12・1~4と使徒の働き7:2~3と比較する時、アブラムに対して神は二度に
 わたって語り、父の家を出て、神が示される地へ行くようにされたことは明らかです。
 アブラムはカランまで旅を続けましたが、父テラのことを考えて、人間的情愛から、テラが
 死ぬまではカナンの地へ向かうことができなかったと思われます。
 ある人たちにとっては、人間的情愛を持ち、他の人に情愛を示すことが負うべき十字架と
 なります。
 しかし、多くの献身的なクリスチャンにとっては、最終的なところで取り扱われる十字架は、
 人間的情愛を断ち切って、神の召命に従って歩むことです。参照;ルカ14・26~27


3.主のために祭壇を築く
 カナンの地に入ったアブラムは、二度にわたって祭壇を築きました。
 これは神への感謝と献身と従順を表す全焼のいけにえをささげるためのものでした。
 アブラム一人だけでなく、妻やロトの家族や使用人たち、一族郎党全部が祭壇の周りに
 集まって主を礼拝したはずです。
 私たちも個人として、クリスチャンホームとして、あるいは教会として、祭壇を築きつつ
 生きる必要があります。
(1)御言葉で祭壇を築こう
(2)祈りの祭壇を築こう
 個人での奥まった部屋でのデボーションだけでなく、夫婦での祈り、家族礼拝(子供たちの
 年齢に応じた方法が必要)を持つことは、信仰の基本です。
 昔も今も悪魔は家庭を破壊しようとして一生懸命働いていますから、悪魔に機会を与えない
 ようにしなければなりません。
 そのためにも、祈りの中で、夫婦の一致、家族の一致を保っていかなければならないのです。