<2017.12.10のメッセージ>   メッセージ:小山 大三 師

信仰義認


 創世記15章
 アブラハムは『神の友(イザヤ41・8)』であり、『信じて義と認められるすべての人の
 父(ローマ4・11)』と呼ばれています。
 アブラハムは神を恐れ、神との良き交わりの中を歩んでいたと思われますが、神から子が
 与えられる約束を得て十年近くが過ぎてもまだ子が与えられませんでした。
 そのため神の約束に対する疑いが起こり始め、苦悩するようになりました。
 そのような中で、神はアブラハムに語り信仰の励ましを与えられました。
 彼を外に連れ出して仰せられました。
 『さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。』
 さらに仰せられました。
 『あなたの子孫はこのようになる。』彼は主を信じました。
 『主はそれを彼の義と認められた』のでした。(創世記15・16)


1.スランプは、勝利の後にやって来る
 バビロニヤの王たちと軍隊を撃破したアブラムは、大勝利の後にも疲れを覚えたことで
 しょう。
 またバビロニヤ軍を打ち破ったとはいえ、アブラムの存在は彼らに知られるところとなり
 ましたから、再び攻めて来られるかも知れません。
 アブラムは、どうやら深い疲れと恐れのとりこになってしまったようです。
 その上、神が子を与えてくださるという約束はなかなか実現せず、将来に対する上安も
 募ってきたのでしょう。
 私たちも何かの成功を収めた後、突然疲労感を覚え、心はむなしくなり、スランプ状態に
 陥ることがあります。
 アブラムも例にもれず、体も心も信仰も弱ってしまっていたに違いありません。
 そんな中で、主の言葉がアブラムに臨み、励ましの言葉が与えられたのです。
 ①『アブラムよ。恐れるな。』(創世記15・1)
  私たちから幸福を奪ってしまう敵の一つに『恐れ』があります。
  人への恐れ、死への恐れ、失敗への恐れが、しばしば心の中にわき上がり、私たちを
  上安に陥れます。
  『人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。』
  (箴言29・25)
 ②『わたしはあなたの盾である。』(創世記15・1)
  信仰者は、いつも戦いの中に置かれています。
  サタンは私たちを神から引き離そうとして、さまざまな攻撃をしてきます。
  恐れ、怒り、失望などの火矢をも放ってきます。
  そのような時、主イエス・キリストを目の前に置く時、この方が私たちの盾となり
  守ってくださいます。
  ダビデは主が盾であることを知り、信じていました。
  『しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く
  上げてくださる方です。』(詩篇3・3)
  「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことが
  ない。』(詩篇16・8)
 ③『あなたの受ける報いは非常に大きい。』(創世記15・1)
  ヘブル人への手紙の記者がヘブル人への手紙10章35節の御言葉を書いた時、神が
  アブラムに語られた言葉を思い出していたのではないかと思われます。


2.信仰義認
 アブラムは、行いによって義と認められたのではありませんでした。
 主は幻のうちに『あなたの受ける報いは大きい。』と言われました。
 約束された土地も、子供も与えられていないのに、神はそのように語られました。
 アブラムは少々反発し現状を訴えました。
 しかし、神が彼を外に連れ出して、
 『さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。
  …あなたの子孫はこのようになる。(創世記15・5)』と言われた時、
 現実は絶望的であるのに、それが神の言葉であるがゆえにアブラムはそれを信じました。
 それが彼の義と認められたのです。参照;ローマ4・2~3
 アブラムが割礼による契約を受ける(創世記17章)前に義と認められたことは、
 救拯史との関係において重要かつ預言的なものです。
 アブラムが無割礼のまま義と認められたことは、割礼は信仰による義認に先だつ条件
 ではないことを明らかにしました。
 従って、無割礼の異邦人が割礼を受けることなく義と認められることが証明されたのです。