<2018.1.14のメッセージ>   メッセージ:我喜屋 明 師

わたしが示す地へ行きなさい


 創世記12:1~4
 創世記12:1~4によると、『わたしが示す地へ行きなさい。』― このことが祝福の条件
 であった。
 父親のテラも共に約束の地を目指したが、カランの地で亡くなった。
 それから、神様の語りかけがアブラハムにあった。
 へブル11:8『・・・出て行けとの召しを受けた時、これに従い、どこに行くのかを知ら
 ないで、出て行った。』
 中高生の反抗期、母親は厳しかった。
 20歳の時に、父親がロサンゼルスに連れて行ってくれた。
 ディズニーランドに行きたかったが、父とは別行動で、世話をして下さったマーク・マグネ
 ソン先生は、聖公会の聖餐式や教会の水曜日夜の集会に連れて行ってくれたりと、教会まわり
 ばかりであった。
 しかし、その中で自分の居るべき原点を確かめさせられた。
 私たちは、イエス様を信じ、従って行く時に、次元の異なる新しい地平線の中へ導かれる。
 その接点となっているのが十字架。
 この世界の考え方があるが、私たちのいる復活の世界、神様の世界がある。
 この世界の考え方があるが、神様を入り口として、私たちは莫大な神様の世界に入っている。
 アブラハムは、何も計算しないで神様の言葉に従ったというのではなく、死を突き抜けた、
 イエス様の復活の命の働く神様の世界にあこがれて行った。
 私たちはロボットのように神様に従うように造られたのではない。
 神様は、あなたが神様のところに飛び込んでいくことを待っておられる。
 黙示3:20『見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸を
 あけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼も私とともに食事を
 する。』
 これはラオデキヤのなまぬるい教会に対するイエス様の言葉であった。
 バタバタしている私たちの中に、イエス様が安息を与えて下さっている。
 私たちと共に食事をして下さり、安息と力を与えて下さる。
 私たちは、このように礼拝で顔を合わせるだけで、涙が出るくらい恵まれる。
 みんなが、すでにイエス様から美味しいものを頂いて来ておられるので、それを聞きたくなる。
 日曜日の礼拝に、それぞれのものを持ち寄って、互いに味わうことができる。
 兄姉の良さを毎日感じさせられる。
 父が2001年に天に召されて、みんなの方がよくできて、『しっかりしなさいよ』みたいに
 周りから励まされたが、ストレスで10円玉くらいのハゲが6カ所くらいできて、医者に行く
 と、『治るかもしれないし、治らないかもしれない』と言われた。
 しかし、今は髪の毛が生えてきている。
 今は主が余裕をもって歩ませてくださっている。 
 今日、クリスチャン生活を退屈だと感じている方があるなら、『あなたが示す地へ行きます。
 あなたから目を離しません。』と祈り従って行きましょう。