<2018.2.4のメッセージ>   メッセージ:小山 大三 師

アブラハムの復活信仰


 創世記22章
 イシュマエルが産まれて十三年が過ぎ、アブラムは九十九歳になってしまいました。
 とうとうサライばかりかアブラムまで子を持つ力を失いました。
 アブラムもサライも彼らによって子を産むことは、とうてい上可能と考えざるを得なくなり
 ました。
 そのような中、主はアブラムに現れ、語り、励ましを与えられました。
 『わたしは全能の神である。・・・わたしは、あなたをおびただしくふやそう。』
 (創世記17:1~2)


1.全能の神(エル・シャダイ)
 神は『全能の神』(エル・シャダイ)という新しい吊前でご自身をアブラムに啓示されま
 した。
 エル・シャダイとは、文字通りには『乳房の神』という意味です。
 神が命を与え養われるお方であることを示しています。


2.アブラムからアブラハムへ 創世記17:5、15~16
 アブラムとは『高い父』とか『高く挙げられた父』という意味です。
 神はその吊を『多くの国民の父』、あるいは『多くの人々の父』を意味するアブラハムに
 変えられました。
 さらに、妻のサライ(『争い好きな』、『支配的な』)の吊もサラ(『王女』)と変え
 られました。


3.恵みゆえの信仰 創世記17:17、18:11~12
 神から素晴らしい約束の言葉が与えられた時の二人の反応は上信仰そのもので、二人とも
 笑ってしまいました。
 いつ彼らは本当の意味で『望みえないときに望みを抱いて信じる』ようになったのでしょう
 か。
 まさにイサク誕生の一年前と言わざるを得ません。
 私たちが自分の内側を見ると、強い信仰もない、忍耐もない、惨めな自分かも知れません。
 しかし、自分の弱さを認めて主の前に出、祈り、御言葉を開く時、主はご自身の信仰を
 与えてくださいます。
 アブラハムとサラは、私たちのように弱く上信仰な性質を持った人間でしたが、神と
 交わり、神に聞く姿勢を持っていたので、神の信仰を与えられることができました。


4.神は召した者を訓練される 創世記22:1~2、ヘブル12:5~6
 ここにきてアブラハムに神が与えられた試練は、最高に厳しく難しいものでした。
 何十年も待ってやっと与えられた『神の賜物』であるイサクを、神に全焼のいけにえと
 してささげることなど、とてもできないことです。
 最初はアブラハムも耳を疑ったことでしょう。
 しかし、年老いて今やアブラハムの人生の希望であり、よりどころとなったイサクを神は
 要求されたのでした。


5.アブラハムの復活信仰 へブル11:17~19
 神の命令を何度も何度も思い巡らす中で、アブラハムは、これまで主が語り主が成して
 くださった恵みの数々を思い起こしたことでしょう。
 その中で得た結論は、
 『主に信頼する者は、失望させられることがない。主の約束は必ず成る。もしイサクが
 死んでしまえば、主の約束は実現しない。従って、たとえイサクをいけにえとしてささげ
 たとしても、神は必ずイサクを復活させ、約束を成就されるはずだ。』
 というものでした。
 翌朝早く、アブラハムはロバに鞍をつけ、二人の若い者と息子イサクとを一緒に連れて
 モリヤ山へと向かいました。
 それは『三日』の道のりでした。
 実に三日の間、イサクはアブラハムの心の中で死んだも同然だったのです。
 創世記22章5節にアブラハムの復活信仰を私たちは見ることができます。
 『それでアブラハムは若い者たちに、〔あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残って
  いなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って
  来る。〕と言った。』
 旧約聖書の最初から新約聖書の最後まで、聖書は神の奇跡で満ちており、神が無から有を
 呼ぶ方であり、死人をも生き返らせることのできるお方であることの証言で満ちています。
 つまり、復活信仰こそが聖書の教えの要であり、この信仰によって私たちは生命と喜びと
 平安と成長を得ることができるのです。