<2018.2.18のメッセージ>   メッセージ:小山 大三 師

祝福に満ちたイサクの人生の秘訣


 創世記25章~26章
 イサクの性格は、父アブラハムとは大きく異なっていました。
 アブラハムは開拓者であり、冒険家であり、大胆な行動家でした。
 一方、イサクは受動的で、穏やかで、従順で、争いを好まない家庭的な平和主義者でした。
 一見イサクの人生は平凡に見えますが、イサクほど徹底して自我を捨て切って生きた人物は
 ほかにありません。
 まさに『世の罪を取り除く神の小羊』としてのイエス・キリストの典型的な予型となっている
 人物なのです。


1.イサクの祝福と成功の理由は、父アブラハムへの祝福を継承したことであった
 イサクは性格的に温厚であり、品性において光るものがありましたが、弱さも上完全さも同時
 に持っていました。
 ききんを避けてゲラルのペリシテ人の地へ行った時、自らの命を惜しんで妻リベカを妹である
 と偽り、父と同様の失敗をしました。(創世記26・6~11)
 また猟の獲物が好きだという理由で、エサウをひいきし弟のヤコブ以上に愛しました。
 (創世記25・28)
 イサクの受けた祝福と成功の理由は、彼の優れた徳にあったというよりは、父アブラハムへの
 祝福を神の恵みと選びにより与えられたことにあったのです。(創世記26:2~4)
 私たちも同様に、たとえ欠点があり上完全であったとしても、主イエス・キリストを救い主と
 して信じるならば、アブラハムへの祝福にあずかる者とされます。
 そして、人生において神の祝福を見るようになります。
  参照 ガラテヤ3・14、ローマ8・28、31


2.イサクの祝福の理由は、彼の信仰にあった 創世記25:21
 イサクとリベカの間に、結婚後二十年が過ぎても子供が与えられませんでした。
 しかし、イサクは父の失敗に陥ることなく、人間的な解決に頼らず、どこまでも神の言葉の
 成就を待ちました。
 彼は祈りを聞いてくださる恵み深い神に信頼しました。
 彼には神にゆだねる信仰があったのです。


3.イサクの祝福の理由は、自分らしく生きたことにあった
 『イサクはその地に種を蒔き、その年に百倊の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったの
 である。こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。』
 (創世記26・12~13)
 すでに学んだように、イサクの性格と賜物はアブラハムとは大きく異なっていました。
 同様に、私たち一人一人の性格と賜物は異なっています。
 アブラハムは遊牧をし財産を増やしていきました。
 イサクもアブラハム同様遊牧生活をしていましたが、父アブラハムのまねをして生きたのでは
 ありませんでした。
 彼は農耕をし定住するようになりました。
 イサクはアブラハムがしなかった『地に種を蒔く』ことを試みました。
 これは彼らしい生き方となりました。
 私たちの人生においても自分らしく生きる必要があります。
 ここに私たちは人生の喜びと祝福を見いだすことができるのです。
 クリスチャンの奉仕においても同様です。
 私たちは皆神の前にユニークな存在であり、それぞれ賜物が異なっていますので、同じように
 働くことはできません。
 ある人はリーダーとして神に召されていますが、ある人は支える賜物が与えられ、第二、第三
 の立場に立つことによって、より豊かに用いられることができます。


4.イサクの祝福の理由は、井戸を掘ったことにある
 26章の中には、イサクが井戸を掘ったことがしばしば語られています。
 井戸によって農耕と定住が可能になりました。
 クリスチャンにとって『井戸を掘る』とは、聖書の言葉により心の取り扱いを受け、自我に
 光を当てられ、キリストとの深い関係へと導かれることです。
 『井戸を掘る』ことは、時に容易なことではありません。
 自らの過去の罪、憎しみ、恥、傷、痛みを思い起こさせられます。
 また自らの性格、弱さにも光が当てられ、深い絶望感を経験することもあります。
 私たちの自我が砕かれ、キリストが吊実共に私たちの主権者となられる時、私たちの内にある
 心の井戸から命の水がわき出るようになります。
 この命の水のわき出る所、喜びと平安と力と賛美があふれ出るようになります。