2020.12.27 自己憐憫からの解放-賛美と感謝  小山 大三 師

メイン聖書箇所:Ⅰテサロニケ5・16~18 【音声ブログ】

 3月以来、世界的なコロナウイルス感染流行の影響を受け、多くの人たちが試練のるつぼの中に投げ入れられました。
『こんなはずではなかった』と悲嘆にくれ、自己憐憫の中にある方も少なくはないと思います。
 自己憐憫は、自滅的であり、しばしば憂うつ、絶望、殺人、自殺、その他の多くの罪につながっていく可能性があります。
 今日は自己憐憫からの解放というタイトルでお話しします。


1.人生には試練がある(ルツ記1章)
 ユダヤのベツレヘムにエリメレクとナオミは住んでいました。
 二人の息子があり、つつましくも楽しく何不自由なく暮らしていた彼らに、突如試練が訪れました。
 この地にききんがあったのです。
 そこで彼らは息子たちを連れてモアブの地に移住しました。
(1)試練は、信仰の試金石
 試練は、私たちの信仰の程度と質とを明らかにします。エリメレクとナオミは、十分祈ることなく、目に見る所の判断で、
 モアブに下って行ったのでした。
 彼らは本来、一時の試練に負けることなくベツレヘムに留まるべきでした。
 ベツレヘムは、神が先祖アブラハムに約束された祝福の地であったからです。
 ナオミはモアブの地でたび重なる災難に出くわしました。
 まず夫エリメレクに先立たれました。
 次に、モアブ人の女と結婚した二人の息子たちが次々と亡くなったのでした。
 ナオミは楽しい家庭を失い、平安と希望を失ってしまいました。
 これがモアブでの10年間の生活の結果でした。
(2)自己憐憫のわな  詩篇102・3~11
 『私は』『私は』『私は』...こんなにみじめで可哀想なのです。そういう訴えの言葉がひたすら続きます。
 詩篇の記者と同様にナオミも自分の苦難を主のせいにしました。(ルツ1・20~21)
 自己憐憫は、悲しみとあわれみを自分自身に集中させることです。
 自己憐憫は、『いらだち』と行動を伴わない『閉じこもり』の形で現れます。
(3)試練の時には神に立ち返れ イザヤ55・6~7
 ナオミは、試練に打ちのめされながらも、恥を忍んでベツレヘムに帰る決心をしました。
 自己憐憫からの解放の第一ステップは、悔い改めです。
(4)ルツの信仰  ルツ1・16
 ルツはナオミから信仰を受け継いだと思われますが、姑を超えるほどの信仰者となっていました。
 彼女は、オルパに倣うことなく、自立した信仰者としてイスラエルの神に従う固い決心を表明したのでした。
 オルパは根の浅いクリスチャンの型ですが、ルツは信仰の自立を果たしている女性の型となっています。


2.信仰を持って一歩を踏み出そう(ルツ記2章)
 自己憐憫からのからの解放の第二のステップは、行動的になることです。
 神は愛によって働く信仰を持って一歩を踏み出す人を祝福してくださる方です。
 『ルツは出かけて行って、刈り入れをする人たちの後について畑で落ち穂を拾い集めた。それは、はからずもエリメレクの
 一族に属するボアズの畑であった。ちょうどそのとき、ボアズがベツレヘムからやって来て・・・。』(ルツ2・3~4)
 *『日光オリーブの里』というクリスチャンのリトリート施設オープンの証し
  主は、窮した者の祈りを顧みられるお方です。(詩篇102・16~17、Ⅰテサロニケ5・17)


3.新しく造られる民の特徴は賛美と感謝
(1)賛美  詩篇102・18
 自己憐憫からの解放の第三のステップは、神への賛美です。
 賛美は性質上、利己的ではありません。賛美は中心を自己から神に移します。賛美は自己を忘れさせます。
 高らかな賛美のある所では、サタンは無力になり追い払われてしまいます。
(2)感謝  詩篇103・1~2、Ⅰテサロニケ5・18
 自己憐憫からの解放の最後のステップ、第四のステップは感謝です。
 ・エルサレム郵便局に毎年送られて来るイエス・キリスト宛の大量の手紙のエピソード