2021.1.10 民よ。どんなときにも神に信頼せよ。  小山 大三 師

メイン聖書箇所:詩篇62:1~12
1月中はYouTubeでの動画配信のみとなります

1.試練の中のダビデ(詩篇62:1)
 ダビデは試練の中で、望みえない時にも神に信頼して祈っています。
 『黙って、ただ神を待ち望む』とは、忍耐をして神に期待することを意味しています。


2.ダビデの信仰(詩篇62:2)
 詩篇62:2は今年の教会聖句です。
 この告白の中にダビデの主に対する信仰を見ることができます。
(1)神こそわが岩 (詩篇62:2)
 イザヤは『かわききった地にある大きな岩の陰(イザヤ32:2)』がもたらす回復を描写しています。
 私たちには、わが岩なる主があるのです。
  ①岩は陰となり、暑さから守り回復を与える
  ②岩は、揺るぐことなく信頼に足るもの
  ③岩は、民の渇きを潤す(参照出エジプト17:6、民数記20:7~11)
  ④岩はイエス・キリストの型 -Ⅰコリント10:4『その岩とはキリストです。』
(2)わが救い ― イエス・キリストこそ私たちの救い主であり、救いを与えるお方です。
  ①罪からの救い、
  ②病からの救い、
  ③人間関係の問題からの救い、
  ④経済的困難からの救い、
(3)わがやぐら
 やぐらは戦いの中で優位な場所を与えるものです。
 四方をよく見渡すことができ、敵の進行をいち早く見つけることが出来ます。
 また戦いになったときに、敵の剣・矢は届きません。
 しかも、やぐらから放つ矢は威力を持って、敵を射抜き、やぐらは勝利を可能にします。


3.心を注ぎ出す祈り (詩篇62:8)
 待ち望むことは何もしないことではありません。
 『こころを注ぎ出して祈る』という積極的な態度が求められています。
 キリスト教の祈りの世界は決して受け身ではありません。
 心を注ぎ出して、神に願い求め続ける積極的でアクティブな祈りの世界です。


4.ハンナの信仰(Ⅰサムエル1:1~20)
 ハンナは子どもがなく苦しみの中にあったとき、主の前に心を注ぎ出して祈りました。
 その結果、息子のサムエルが与えられました。
 ハンナは次のように歌って神を礼拝しました。
 『主のように聖なる方はありません。あなたに並ぶ者はないからです。私たちの神のような岩はありません。』(Ⅰサムエル2:2)