2021.1.24 キリスト教のいろはに   小山 大三 師

メイン聖書箇所:ヨハネ3:16
1月中はYouTubeでの動画配信のみとなります

 分厚い聖書が、いったい私たちに何を教えているのか、わかりやすくお話ししたいと思います。
1.『い』一番すぐれた愛 ― 神の愛
 すべての人は、真実な愛、変わらぬ愛を求めています。
 裏切られることのない、絶対的に信頼できる愛を求めています。
 人は愛なしには生きられない存在なのです。
(1)ある暴力団の幹部の話し
 私がまだ神学生だったころ、横浜のある教会で、暴力団の幹部と名乗る人と話したことがありました。
 彼は暴力団の世界を恥じているようにも見えましたが、『暴力団の世界は、泥沼のようなものです。
 でも泥沼に咲く蓮の花のように、美しい兄弟愛があるのです。それに比べて娑婆は冷たい。』と言って
 いたのを思い出します。
(2) ドイツの赤ひげの大王の試み
 赤ひげの大王として恐れられたフィリップ王は、人類最初のことばを知ろうと考えました。
 そのために、ある無人島に施設を作り、多くの赤ちゃんを無人島に集めました。
 きちんとした設備と十分な看護者(医師、保母)たちを置きました。ミルクもきちんと与えました。
 しかし、語りかけることはいっさい許されませんでした。
 そのようにして赤ちゃんが最初に口にすることばが人類最初のことばであったろうと考えたのでした。
 ところが、その結果は、全員死亡という結果でした。
 聖書は教えています。『神は愛です』と。
 まず第一に聖書が繰り返し私たちに伝えているのは、『神は愛である』というメッセージです。
 ヨハネ3:16『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を
 信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』


2.『ろ』ロクなことのない人生の原因
 さて、神が愛であるなら、なぜ人生にさまざまな苦しみが存在し、病気や、死への恐れと不安があるので
 しょう。
 聖書は、その原因は、私たちの罪にあると教えています。
 罪とは何でしょう。
 一つ一つ挙げればきりがないでしょうが、罪の根本は、神を無視することであると思います。
 人は他人から無視される時、非常に傷つきます。それは、その人の人格が否定されることだからです。
 親にとって一番心痛むことは、子供に無視され、心と心のコミュニケーションを持てないことでしょう。
 神は私たちの造り主ですから、私たちと交わり、私たちの人生を導きたいと願われ、神の親心のゆえに、
 今から約2千年前に、イエス・キリストを地上に送られたのです。
 しかし、人はそれをも無視したのです。
 では、人の罪はどのようにして解決されるのでしょうか。
 囚人が囚人を救えないように、人は人を救うことはできません。


3.『は』墓の中から復活したキリスト
 イエス・キリストだけが、人の罪を解決できます。
 それはキリストが、あなたや私の罪の身代わりに十字架にかかって死んで下さったからです。Ⅰペテロ2:22~24
 また、キリストは、聖書の預言のとおりに、三日目に死を打ち破って復活されました。
 弟子たちにとってさえ、すぐに信じられないことでしたが、十字架の死を通して人類の罪のきよめの業を
 成し遂げられたキリストは、神の大能の力によって復活し、私たちの救い主となられました。


4.『に』21世紀でもキリストに出会える方法
 キリストに出会い、罪の赦しと永遠のいのちを受け取るためには、イエス・キリストを人生の主として
 受け入れなければなりません。
 そして、心からイエスに向かって祈ることです。
 『主の御名を呼び求める者はみな救われる。』(ローマ10:13)