2021.2.7 キリスト教の救いとは   小山 大三 師

メイン聖書箇所:民数記21:4~9 【音声ブログ】

救われるための条件とは何でしょうか。また、キリスト教で『救い』と言う時、それは何を意味しているのでしょうか。
1.救われるための条件
(1)イエス様の十字架 ヨハネ3:14
 イエス様は、モーセが荒野で上げた青銅の蛇がイエス様の十字架の型と象徴になっていたことに言及し、救いの第一
 条件が ご自身が十字架にかけられることであることを示されました。
 イエス様は、私たちの罪の身代りに呪われた罪人の立場を取り、神からの裁きを身代りにその身に負われたのでした。
 十字架にかけられたイエス様を仰ぎ見て、私たちが救われるためでした。
 ・鬼塚道夫さんの身代わりの死・・・1947年(昭和22年)9月1日の長崎での出来事。
  坂でブレーキが効かなくなったバスの後輪に身を投げ出し、30余人のバスの乗客のいのちを救った21歳の車掌。
(2)認罪と告白 Ⅰヨハネ1章7~9節
 私たちの過去の罪がどのようなものであれ、心から罪を認めて神の前に悔い改める時に、御子イエス様の血のゆえに、
 十字架の恵みのゆえに、神はすべての罪を赦し、私たちをきよめてくださるのです。
 ・ダビデ王の罪と赦し (詩篇32篇1~2節)
 ・K牧師の中学生時代の万引の罪。高校1年生の時心から罪を悔い改め、イエス・キリストを救い主として信じた。
  その時に与えられたあふれる喜び。
(3)信仰 ヨハネ3章16節
 十字架にかかられたイエス様を信じる信仰をとおして私たちの罪が赦され、私たちは新しく生まれ変わり、神の子ども
 とされ、永遠のいのちを得ることができます。


2.キリスト教における三重の救い
 Ⅰテサロニケ5:23によると、人間の体は、『霊、魂、体』の三つの部分からできています。
 人は、このすべての領域での救いを必要としています。
(1)霊の救い(義認)
 霊の救いとはキリストの御霊が人間の霊に宿ることです。
 悔い改め、罪の赦しを体験し、義と認められると同時に、キリストは私たちの霊の中へ御霊によって入り、住んでくださ
 います。
 この時、私たちは『救われた』と言うことができるのです。
 また『新生』したとも言います。
 私たちは神の子どもとされ、永遠のいのちが与えられ、神の宮とされ、新しい人生を歩む者となるのです。
(2)魂の救い(聖化)ピリピ2:12、ヤコブ1:21
 救われる以前の魂は、ほとんどの場合、五感に頼って活動しています。
 しかし、新生を体験した後は、自己の霊に宿って下さっている聖霊の指示に依存して行かなければなりません。
 遺伝、環境、神を抜きにした教育などによって形成されている古い自我生命(肉)は、自己中心の行動を自然にしてしま
 いがちです。
 怒り、恐れ、人を赦さない思い、などがクリスチャンになった後でも魂を満たそうとします。
 主イエス様に自我を取り扱って頂き、砕かれ変えられる恵みが、魂の救い(聖化)です。
(3)体の救い(栄化) ローマ8:23、Ⅰヨハネ3:2~3
 肉体をまとっている限り、完全に罪と病から自由になり、キリストのように歩むことはできませんが、主イエス・キリスト
   の再臨の時に、私たちはキリストの似姿に変えられ、神の栄光のうちに入れられます。
 これは救いの完成であり、キリスト者の望みです。
 栄光の恵みにあずかるまでは、体の救いとして『いやし』をあげることができます。
 病と死は、罪の結果、人類の中に入ってきたものですから、キリストの十字架の贖いは、病のいやしの保証ともなっています。
 イザヤ53:5、 詩篇103:3