2021.3.14 三種類のバプテスマ(2)   小山 大三 師

キリストの体へのバプテスマ(聖霊によるバプテスマ)
メイン聖書箇所:1コリント12:13~27 【音声ブログ】



 『私たちはみな、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて、一つのからだとなりました。
 そして、みな一つの御霊を飲んだのです。』
 聖書はバプテスマには三種類あることが教えられています。
 水のバプテスマ、キリストの体へのバプテスマ、聖霊のバプテスマの三つです。前回水のバプテスマについて学びましたから、
 今日は二番目のキリストの体へのバプテスマについて学んで行きましょう。


1.奥義としての教会
(1)奥義としての教会 エペソ3・8~11
 使徒パウロによると、ペンテコステの日以後に実質的に動き拡大し始めた教会は、神の奥義でした。
 旧約時代はユダヤ人が神の民として神の栄光を現す共同体として地上に存在していましたが、キリストの十字架と復活以後の新約の
 時代は、ユダヤ人も異邦人も一つキリストの体として合わせられ、神の栄光を現す共同体として地上に存在することが神によって
 計画されていたのです。
(2)キリストの十字架の死は教会を生み出すためであった 創世記2・18~24
 イエス・キリストの十字架は、人間の罪の贖いのためだけのものではありませんでした。
 最後のアダムであるイエス・キリストが眠られたことによって、キリストの花嫁である教会が創造されることができたのです。
(3)キリストは教会のかしらであり、私たちはからだの器官 エペソ1・22~23
 『キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目に
 よって、しっかりと組み合わされ、 成長して、愛のうちに建てられるのです。』(エペソ4:16)
 キリスト教には、いくつかの大事な教理があります。罪の赦し、義認、聖化、栄化、キリストの再臨、御霊の満たしなどです。
 しかし、もし自分がキリストの体の一部であり、体全体の祝福のために存在していることを認識していないならば、十字架の理解と
 経験はまだ部分的であると言えます。
 聖霊のバプテスマの理解もまだできていないと言わなければなりません。
 今の時代において、イエス・キリストがご自身を現わすことができる器は、個人ではなく、体だからです。
 私たちは体として互いに協力し合う必要があります。
 神の家族として互いに助け合う必要があります。
 ・ジーザス・カーペンターズショップの話


2.賜物を用いて互いに仕え合う エペソ4・11~13
 使徒、預言者、伝道者、牧師、教師の五役は、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせるためにあります。
 つまり、聖徒たちの賜物の発見を助け、成長を助ける役割を果たすことが目的なのです。
 牧師や伝道師などの働き人だけが奉仕をするのは、野球でいえば、監督やコーチ自身が選手に代わって試合をするようなものです。